地域で生活をはじめるきっかけは、ひとによってさまざま。
ですが、必ずしも自分が望んだものではなくて、配偶者の転勤や親の介護などが必要に迫られて移住・転入してくる方もいらっしゃると思います。
そのような方にとって、こちらの生活は未知で不安なことも多くあるのではないでしょうか。
福島の暮らしが楽しくなってほしい
今回、そのような思いを持った3名の方に集まっていただきました。
他県から移り住んできた同世代の3人。
福島に来てから、苦労したこと、生活が楽しいと思えるようになったきっかけなど、福島で自分らしく生活するヒントをお伺いしました。
全3部の第1部です。
藤本 菜月:石川県生まれ、福島市在住。県内各地で転入女性サポートの活動や県産品のギフトショップent(福島市)を運営。
鈴木 志緒里:埼玉県生まれ、白河市在住。布小物作家。17年前に旦那さんの実家のある白河市に移住。
片倉 麻里子:東京都生まれ、白河市在住。2年前に旦那さんの実家である白河市に移住。
移住のきっかけ
藤本 | 私たちみたいな、移住してから寂しいと思っている方や孤独感を感じている方に向けた方に情報を届けたいと思ってまして、今日は特に、ひととつながりがなかったところに移住して、今はどうなっているかという話をお伺いしていきたいと思います。まず、志緒里さんは何がきっかけで白河に来たんですか? |
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鈴木 | 夫とは埼玉で出会って結婚したのですが、夫の実家が白河で、その実家の家業を継ぐのに17年前に家族で引っ越してきました。私は子どもが大きくなるまでは頑なに福島には行きたくないと思っていました。 |
藤本 | 埼玉では仕事してたんですか? |
鈴木 | 出産を機に辞めたのですが、埼玉の実家の近くにないと子育てが不安だったんです。 |
藤本 | 出産して小さい子がいる状態でこっちに来たんですね。 |
鈴木 | 1歳の時に、白河に来ました。 |
藤本 | 家は旦那さんの実家の近くですか? |
鈴木 | 実家は近くでしたが、本当にいろいろ不安でした。 |
藤本 | 片倉さんの移住のきっかけは何でしたか? |
片倉 | 私も夫が白河市出身で、東京で出会って。震災があったのでしばらく戻れなかったんですけど、夫の自営業をこちらでやるために夫のUターンについてきました。 |
藤本 | 片倉さんが来たときは、お子さんも一緒でしたか? |
片倉 | はい。小学校2年生と4年生の娘がいました。 |
藤本 | お子さんはある程度物心がついた状態のときにこちらに来て、志緒里さんのお子さんは小さいとき。2人ともなんとなく境遇は似てるというか、旦那さんの自営業が理由で来たんですね、来たくて来たわけじゃなかったみたいな。 |
移住直後の生活
ー ひともいないし、みんなどこに居るんでしょうか
藤本 | こっちに来た当初、何が大変で、どんな感じだったのか教えてもらえますか? |
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鈴木 | 私は埼玉生まれで、福島に遊びでも来たことがなかったので、土地勘が全くなくて大変でした。 |
藤本 | 引っ越してくるまで来たことがなかったんですか? |
鈴木 | 結婚の挨拶での訪問くらいでした。何がどこにあるのか全然分からない。夜は真っ暗ですし、車がないと移動できないというのも大変でした。あと孤独、暗闇に来た感じがして。 |
藤本 | 車は乗れたんですか? |
鈴木 | 乗れました。でも家族で1台だけだったので、当時旦那が使っちゃえば車を使えない状態が少しの間続いていたんです。どこにどう行けばいいか歩いて、公園を探したり。でも、ひともいないし、みんなどこに居るんでしょうか?みたいな感じでした。 |
藤本 | 住んでたところは住宅地とか?それなりにひとが住んでいる所でしたか? |
鈴木 | そうです。マンションとかアパートとかあるんですけど。公園に行ってもひとがいなくて。 何日か通い詰めてはじめて、子ども連れの方がひとりいて、友だちになれて、その方とはいまも付き合いがあります。 |
藤本 | よかったですね! |
鈴木 | やっと会えたと思って。そのくらいひとに会えないという日が続いていたので、その方と会うまではさみしかったですね。 |
藤本 | 思い出すと、それが一番つらかったかなという感じですか? |
鈴木 | そうですね。寒いし、なんでこんなところに来ちゃったんだろうって思っていました。 |
藤本 | 地域のことは旦那さんも地元だし、旦那さんのお父さん、お母さんもいるから教えてもらうことはできる環境であったんですよね。 |
鈴木 | でも、旦那も埼玉での暮らしが長かったですし、大学時代は京都に住んでいたんです。福島から離れていた状態が長くて浦島太郎状態。お母さん、お父さんも働かれていて、それぞれの生活があってあんまりに会うことがなかったので、もう自力で探すしかない状態でした。 |
藤本 | なるほど。頑張ったんだね。それで自力でやったことが、まずは公園に行くこと。 |
鈴木 | 公園に行って情報を得る。そこで出会った唯一のひとから遊び場の情報とか聞いてみたり、その方が「行ってみよう!」とか連れ出してくれたので助かりました。 |
藤本 | その方は地元の方なんですか? |
鈴木 | そうです。 |
藤本 | じゃあいろんなこと知ってたんですね。 |
鈴木 | 公民館とか遊び場とかいろいろ知っていたので、ついて行くという感じでした。 |
藤本 | フレンドリーなひとでよかったですね。 |
鈴木 | よかったです。すがる思いで声をかけたので。 |
藤本 | よく福島のひとはシャイで話しかけてもあんまりしゃべりかけてくれないと聞くんだけど、閉鎖的なイメージはありましたか? |
鈴木 | 公園にいた方は若くて同じぐらいの年齢の方だったので、埼玉から来たと言ったら、「すごい!」みたいな感じになってくれたんです。 |
藤本 | 「連絡先交換しよー!」みたいな感じ? |
鈴木 | そうですね、明日もここで会いましょう!みたいな。 |
藤本 | よかったですね。じゃあそのひとと出会えたのが生活が楽しくなった大きなきっかけになったんですね。 |
鈴木 | そうですね。 |
ー 知り合いは誰もいない
藤本 | 片倉さんは、来たときはどんな感じだったんですか? |
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片倉 | 私は、結婚する時点で福島に住むことは覚悟していました。ただ、その時期がだんだん迫ってきても仕事で忙しくしてたので、現地に行って情報収集ができませんでした。その当時はインターネットで調べても、情報がなくて。バタバタとしたまま物件も見ないまま、半ば流されるように来たという感じでした。これが自分の運命だからしょうがないって。ポジティブなイメージでの移住ではありませんでした。そのときはコロナ禍に入っていたので、自由に動けず、ひとに会うのもすごくはばかられた時期だったんです。しかも、東京からの移住者ということもあって。 |
藤本 | そうだよね。 |
片倉 | 当時はすごく思い込んでいて、石をぶつけられても仕方ないぐらいの覚悟で移住しました。しばらくは勝手に閉鎖的なイメージを持ったまま過ごしていて。家が片付いて子どもたちも学校に少しずつ慣れてきた頃に、移住前に都内でやっていた生協が白河で始まるというタイミングだったので、それをきっかけに生協の交流会に参加して、そこから少しずつ知り合いができました。 |
藤本 | それに行くまでは知り合いみたいなのは、誰もいなかった状態ですか? |
片倉 | そうですね。誰が何を考えているのか分からないという状態だったので…。 |
藤本 | 東京から来ましたなんて言うもんならみたいなね。 |
片倉 | その先入観がすごく自分を縛っていて。東京から来るなんてとんでもない。早く車のナンバーも変えなきゃって思っていました。 |
藤本 | なるほど。コロナという環境はちょっと特殊だったんだよね。 |
片倉 | そうですね。でも、一戸建てを賃貸で借りたんですが、近所のひとが声かけてくれる感じとか。そういうのに救われたんです。 |
藤本 | 近所のひとはどんな感じで声をかけてくれたんですか? |
片倉 | 最初にご挨拶に行って、その時にすごくフレンドリーに話してくれる方と、その後に玄関から出たときに会って「おいしかったわよ」とか。 それで、もしかしたらこの地域はそこまで閉鎖的ではないかもってちょっと思いました。 |
藤本 | じゃあ、その近所との繋がりは挨拶に行ったことでできたという感じなんですね。 |
藤本 | 志緒里さんはご近所さんに挨拶いったんですか? |
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鈴木 | 当時、マンションだったので隣近所のみで。一人暮らしの方とかもいて交流はありませんでした。 |
藤本 | 集合住宅に入っちゃうと、ご近所さんっていうのとは、またちょっと違う感じですよね。 |
片倉 | でも、同じ区画のひとと両隣斜めの10軒ぐらいしか挨拶に行ってないです。 |
藤本 | 10軒行ったら十分じゃないですか? |
片倉 | そうですかね。集合住宅地だからだったのかもしれないですけど。 |
藤本 | そうやってまず地域、あと自分の周りの地域とはまず繋がった。そして、向こうも結構好意的に接してくれたっていうのが良かったわけですね。 |
ひととのつながり
ー 閉鎖的なイメージは
藤本 | 志緒里さんは今はどのような暮らしをしていますか? |
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鈴木 | 最初はマンションだったんですけど、そのあとに一戸建てを建てました。そこから近所の同じ幼稚園の子とか小学校の子とかの親と知り合いました。そのままずっと同じ地区で生活しているので、長く付き合う友達もできてきたという感じです。震災とかコロナとか経験して大変な時期もあったんですけど、いまは福島から出たくないなって思うくらいに住みやすさを感じています。そう思えてるのは、周りのひとが本当にいいひとたちで救われたからですね。 |
藤本 | 志緒里さんは学区内に自分の友だちはいますか? |
鈴木 | はい。イベントに出た時の知り合いとか、東京から出てきたひととの知り合いとか、tenten(移住・転入した女性のコミュニティ)とかで知り合った友だちとかですね。 |
藤本 | 学区内のお友だちはどういうふうにできていったんですか? |
鈴木 | 当時は幼稚園のこともよくわからないまま、とりあえず近くの幼稚園にいれたんですけど、子どもが同じ制服でいたりすると向こうから声を掛けてくださったりして。それと子どもを迎えに行っていたときに春日部ナンバーの車で走っていたので目立ってたみたいで、地元で暮らしている方のなかで噂になっていたようです。 |
藤本 | ちょっとした有名人だったんですね。 |
鈴木 | そうです。それで、声かけてもらったのがきっかけで、そのまま小学校も一緒だねみたいな感じになりました。 |
藤本 | 白河のひとは声をかけてくれるんですね。 |
鈴木 | 意外でしたね。私たちより上の世代のお父さん、お母さんとかおじいちゃん、おばあちゃんとかは閉鎖的なイメージがあるのかもしれないんですけど、自分たちの代のひとたちは割とフレンドリーだったり、和を広げたいひととかが多いように思います。 |
藤本 | 地元のひとたちもそのような感じですか? |
鈴木 | そうですね。あまり地元の方や移住者、分け隔てなく和気あいあいとというのが続いていますね。 |
藤本 | いいところですね。 |
鈴木 | 私がたまたまだったのかもしれませんが、周りの環境に恵まれてたと感じています。 |
藤本 | 今って、ママ友の繋がりを作るのも難しかったりするんですよね。ほかにママ友を作る機会とかタイミングってありますか?習い事とか? |
鈴木 | 習い事は送迎だけで終わるみたいな感じですね。 |
藤本 | そうですか。幼稚園のときの繋がりがママ友と作るにはいいきっかけなのかもしれないですね。 |
ー 心のよりどころになった居場所
藤本 | 片倉さんは、お子さんが小学校に上がるタイミングで来たとお聞きしましたがママ友みないな方はいますか? |
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片倉 | 私はママ友はいないかもしれません。 |
藤本 | そうなんですね。小学校上がっちゃうと、親どうしで関わる機会ってあまりないですか? |
片倉 | 多くはないですけど、家が住宅密集地なので、子ども同士が遊んだ時にちょっとずつ友だちはできました。子どものお友だちのママさんや家族と少しずつ会ううちに、距離が縮まって、「今度の飲もうね」というぐらいになってるのはひとりくらいですね。 |
藤本 | 最初は子どもが媒介になる感じですか? |
片倉 | そうですね。でも、子どもが媒介になってもずっと敬語が取れないひともいますし、それ以上踏み込まないひともいます。それは気が合うとかそういうものですね。 |
藤本 | 私は子どもを学童保育に入れているから子どもの親と会う機会がないんですけど、どのタイミングで親と会いますか? |
片倉 | 家の前の道路が学校の通学路で子どもがすごく通る場所なのもあって、カーテンをシャーって開けるとそこに子どもたちがいることが多いんです。だから「なんか新しい家族きたよ!」みたいな感じで思っている子どもが多くて、庭で掃除していたりすると「なんとか君のお母さんでしょ」って言われします。なので、親が集まるタイミングで声をかけたり、かけてもらったりします。あとは学校の絵本ボランティアに参加していることも、地域の方と会うきっかけのひとつでした。 |
藤本 | 絵本ボランティアは自分から入ったんですか? |
片倉 | そうです。前の学校からやっていました。こっちの学校にもあるというのが分かって、自分の居場所づくりという意味では助かったというか、心のよりどころになったかなと思います。 |
藤本 | 具体的によりどころというのはどういうことですか? |
片倉 | 絵本を読む日というのが学校で決まっているんです。絵本ボランティアをまとめてくれてるひとが事前に「何組に行ってください」っていう割り当てをしてくれて、その学年にあった絵本を選びに行くか、もしくは自分の家から選んで、読み聞かせをする当日になったら子どもたちの前で読み聞かせをするという役割が与えられます。そのほかにも定例会というのがあって月に1回の集まりがあります。 |
藤本 | そこで、絵本ボランティアの方とのつながりができたんですか? |
片倉 | そうですね。老若男女、30年以上やってるような方とか、いろいろな方がいらっしゃいます。私みたいに白河での暮らしが浅いひとは、情報交換をしてます。私も白河での暮らしが長い方に昔の話や、震災の頃の話をお聞きしていました。「震災のとき、この辺が地盤がダメだったんだよ」とか教えてくれるので、家を建てるとすればどこがいいかなとか考えることができました。 |
藤本 | 絵本ボランティアで生の白河の情報を仕入れることができたというのは、白河のことを知るうえで大きかったかもしれないですね。 |
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移住者に聞く、辛い移住生活や孤独をどう乗り越えたのか<パート1>(当記事はこちら)
移住者に聞く、辛い移住生活や孤独をどう乗り越えたのか<パート2>
移住者に聞く、辛い移住生活や孤独をどう乗り越えたのか<パート3>
藤本 菜月:石川県生まれ、福島市在住。県内各地で転入女性サポートの活動や県産品のギフトショップent(福島市)を運営。
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鈴木 志緒里:埼玉県生まれ、白河市在住。布小物作家。17年前に旦那さんの実家のある白河市に移住。
◆ Facebook
片倉 麻里子:東京都生まれ、白河市在住。2年前に旦那さんの実家である白河市に移住。
Blooming café住所:福島県白河市北真舟25ー2 パークシティ104ビル 1F |
県南地方振興局では、次年度以降も移住者が地域に溶け込めるような事業を予定しています。
移住者や転入者にとって、少しでもふくしまでの暮らしが楽しくなるような企画の立案や取材などにご協力いただける方を募集しています。
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